ハンセン病の名前の由来、アルマウェル・ハンセン

 日本のNHKに相当するノルウェーのテレビ局、NRKで1月、ドリアン助川原作の「あん」が放送されました。元ハンセン病患者の徳江を樹木希林が、どら焼きの雇われ店長である千太郎を永瀬正敏が演じており、元ハンセン病患者への差別問題を含め、生きることの意味を問題提起した作品です。

 ハンセン病の名前は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの病理学者アルマウェル・ハンセン(1841〜1912)に由来します。古代から知られているハンセン病は、ヨーロッパでは13世紀に感染爆発が起き、15世紀には収束、ノルウェーでは19世紀から20世紀初めにかけて集団発生が起こりました。沿岸域の貧しい地域を中心に感染者が増え、感染が次第に首都クリスチャニアに向かって拡大してくるのを恐れたノルウェー当局は、西ノルウェーのベルゲンにハンセン病に特化した病院・研究所を建て、ハンセン病感染者の登録及び隔離政策を行いました。

 当時、ハンセン病は遺伝であると考えられていましたが、ハンセン病患者の登録名簿を調べていたハンセンは、病気は遺伝ではなく細菌による感染であると主張、らい菌の存在を示唆しました。隔離が病気の拡大防止に非常に有効な手段であることから、病気の原因が感染であることを論証しましたが、らい菌の存在の証明は困難を極めました。らい菌発見の7年後、ハンセンから分与された標本でらい菌の染色に成功したドイツのアルベルト・ナイサーとの間では発見者についての論争が起こりました。

 ハンセンの時代の面影を留めるベルゲンの聖ヨルゲン病院は、1946年に最後の入居者が亡くなることで閉鎖され、1970年には病気と社会的差別によって心身の苦痛を受けた患者への敬意を込めてハンセン病の差別・偏見の払拭を目指すレプラ博物館となって再オープンしました。写真 : Nina Aldin Thune 撮影 Lepramuseet/ St. Jørgens Hospital


 日本ではらい予防法によって、完治できる患者をあえて隔離し、強制堕胎や不妊手術が1996年まで合法的に行なわれてきました。沖縄に至っては、ベルゲンのレプラ博物館開館の2年後、1972年の本土復帰と共にらい予防法が適用されることとなり、日本とノルウェーの人権意識の違いを考えさせられます。